由貴のJazz部屋 vol.12 Nina Simone

先週のvol.10で、Nina Simoneが、自分はジャズシンガーではなくてフォークシンガーと呼ばれるべきだと書いていたことの補足です。

たまたま昨日、そのことが書かれた箇所を見つけました。

 

「わたしにとって『ジャズ』とは考え方、あり方、アメリカにいる黒人がすることすべて―歩くこと、話すこと、考えること、ふるまうこと―をさしていた。ジャズミュージックはそれら全体の単なるひとつの側面にすぎない。その意味ではわたしは黒人だからジャズシンガーだといえるが、そのほかのすべての点において、わたしは明らかにジャズシンガーではなかった。」(Nina Simone and Stephan Cleary, ”I put a spell on you :The autobiography of Nina Simone”,Da Capo Press, 1991,pp.68-69)

 

貧しい家庭に生まれたNinaは、なんとかピアノ教師の尽力で高校に進学し、ジュリアード音楽院の夏期講習を受けながら、奨学金を得てカーティス音楽院に進学しようとしていました。

けれども不合格となり、クラシックピアニストになる夢をあきらめて、お金を稼ぐために、自分の母親が「地獄」と呼んで嫌悪していたバーで、ピアノ演奏の仕事を始めます。(不合格になったのは人種差別が原因だったといわれており、2003年、ニーナが亡くなる直前にカーティス音楽院から名誉学士の称号がおくられたそうです。)

夜9時から朝の4時まで、一時間につき休憩15分。

お酒は飲まず牛乳を飲んで演奏し、ポップスを、クラシックのモチーフや技法を用いて、讃美歌やゴスペルもおりまぜながらずっと楽譜なしで弾き、休憩なしで3時間弾くこともあったそうです。

ポップス数百曲、クラシック数十曲、ほかに讃美歌、ゴスペルを暗譜していたので、演奏することは難しくなかったと書いています。

別の会場で演奏していたミュージシャンが店に入ってきたときに、客が「君たち一緒に演奏したら楽しいんじゃないかな?」とニーナに提案してくることに対して、「ジャズミュージシャンはだれとでも演奏するけれども、わたしはジャズミュージシャンではないので、会ったこともない人となぜ一緒に演奏しなければならないのか理解できない」と困惑したように書いています。

また、自分は典型的なナイトクラブのピアニストでもないし、ジャズプレイヤーでもなく、クラシックの音楽家だとも述べています。(p.58)

 

自分のことをジャズミュージシャンではない、と言っていたのは、歌はフォークに近く、自由なスタイルで演奏していながら、音楽への向き合い方はクラシックだったからかなと思います。

うるさい客がいるときは、静かになるまで演奏しなかったようです。

わたしよりずっとくわしいかたがたくさんいらっしゃると思いますので、もしなにか間違っていましたらご教示のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに、このリトル・ガール・ブルーの前奏は、「Good King Wenceslas ウェンセスラスはよい王様」というクリスマスキャロルなのだそうです。