Reverie Liner Notes
◆ビリー・ストレイホーンについて◆
―光と影―
ビリー・ストレイホーン(1915-1967:出生名 William Thomas Strayhorn))は、類稀な才能を持つ音楽家、ピアニスト、作編曲家である。しかし、彼の功績に光があてられるようになったのは、1990年代に入ってからのことであり、その生涯の大半を、雇い主であり友人でもあったデューク・エリントンの名声のもとで、影のように過ごした。彼が当時のジャズ界では珍しく、ゲイであることを公言していたことも、彼の人生に負荷をかけたのではないかと考えられている。
幼い頃から音楽の才能をあらわしていたストレイホーンにとって、クラシック音楽は初恋の音楽であった。彼は生涯にわたってクラシック音楽を愛し続けたが、黒人の彼がクラシック音楽家になることは、白人至上主義のクラシックの世界では非常に難しいことであった。そのため、夢を諦めたストレイホーンは、アート・テイタムやテディ・ウィルソンといったジャズピアニストたちとの出会いによって、ジャズに転向し、ピッツバーグ各地で演奏活動を行った。
1938年、エリントンの楽団がピッツバーグに立ち寄った際に、ストレイホーンはエリントンと知り合い、ストレイホーンの演奏を聴いたエリントンは、即座に彼に仕事を依頼した。翌年1月には、ストレイホーンは、アレンジャー、作曲家、ピアニスト、共同制作者としてエリントン楽団に加わることになった。エリントンは、「君に決まったポジションはない。君のやりたいことをやればいい」とストレイホーンに言ったと伝えられている。
1940年から1941年にかけてASCAP(米国作曲家作詞家出版者協会)との論争が起こり、エリントンの楽曲がラジオで放送されなくなったことで、ストレイホーンはエリントン楽団の楽譜集に「After All」「Chelsea Bridge」「Johnny Come Lately」「Passion Flower」といった曲を寄稿する大きなチャンスに恵まれた。また、長年にわたり、ストレイホーンは「Such Sweet Thunder」
「A Drum Is a Woman」「The Perfume Suite」「The Far East Suite」といったエリントンの組曲の多くで共演し、これらの曲にはクレジットも付与されている。
1950年代に入ると、ストレイホーンはエリントンとは別にソロ活動を始めるが、それほど大きな成功を見ることはなく、ふたたびエリントン楽団に戻る。そして、1964年、長年の喫煙と飲酒による食道癌と診断され、入院した。
入院中に、最後の作品となる「ブラッド・カウント」をエリントン楽団に提出し、1967年5月にストレイホーンは他界したが、その後まもなく、片腕であり、友人でもあったストレイホーンを偲び、エリントンは『...And His Mother Called Him Bill』を録音している。
◆曲解説◆
1.魂の望み Something to live for(1933)
1933年、ストレイホーンが18歳のときに作曲した曲。彼が書いた詩を基にしたこの曲は、エリントンとの最初の共演作となり、1939年にエリントン・オーケストラによって録音された最初の作品の一つとなった。
「車や家、人が望むものはほとんど手にいれたけれど、何か満たされない気がする。そのために生きたいと願えるような、何か(誰か)に出会いたい」という詩は、ストレイホーンの、音楽に対する渇望を表現しているようにも思える。
レコーディングの当日、昼食休憩のあとの1曲目で、最初はバラードで録音したが、もうすこしテンポをあげてみよう、というジョシュの提案を試してみたところ、初々しさが伝わる雰囲気になったと思う。
2.セピア色の記憶 My Little Brown Book (1935)
1935年、高校の「スタント・デー」というイベント(寸劇と歌の短いショー)の「ファンタスティック・リズム」というショーの一環としてストレイホーンが作曲した曲。
その後、1940年にデューク・エリントン楽団のためにボーカル編曲を行い、1942年にハーブ・ジェフリーズをボーカルに迎えて初録音された。1952年、ストレイホーンはこの曲を再検討し、ジミー・グリソムをボーカルに迎えて編曲した。この編曲は後にエリントンによって1967年のトリビュートアルバム“...and his mother called him Bill”のために楽器演奏で再録音された。コルトレーンによるバラード演奏も有名。
失恋の曲だが、どこか乾いたユーモアや希望を感じさせる曲である。
3.白昼夢 Day Dream(1939)
1939年、エリントン楽団がヨーロッパツアーに出ていた7週間の間に作曲した曲。ストレイホーンは当時、ハーレムの邸宅に滞在して新作に取り組んでおり、デューク・エリントンのために仕事をしていた。後にエリントンもこの曲の共演者としてクレジットされている。作詞はジョン・ラトゥーシュが手掛けた。初録音は、1940年11月2日にサックス奏者ジョニー・ホッジスと彼のアンサンブルによって行われた。
官能的なバラードで歌われることも多い曲だが、今回は淡い夢を見るような雰囲気を表現したいと思い、そよ風のようなボサノヴァで演奏した。
4.花、愛すべきもの A flower is a lovesome thing(1941)
1941年、ストレイホーンが作曲し、1946年にデューク・エリントンが初演した。エリントンによる録音は1961年、エラ・フィッツジェラルドによる初録音は1965年である。
ストレイホーンらしい、神秘的ななハーモニーに添えられた、ノーマ・ウィンストンによる歌詞は、妖艶でミステリアスな美しさをさらに深めている。
5.ワルツ Valse(1933)
1933年、ビリー・ストレイホーンは16歳頃、高校在学中にこの曲『ワルツ(Valseはワルツの意)』を作曲し、その後およそ3年間にわたり作曲を続けた。この作品は、フレデリック・ショパンへの彼のオマージュともいえる。
憂いをたたえた旋律を聴くと、クラシック音楽に対する彼の愛情と、夢をかなえられない悲しみを表しているようにも感じられる。
6.ジョニー・カム・レイトリー Johnny Come Lately(1942)Piano solo
「ジョニー・カム・レイトリー」は、エリントン・バンドによって1942年6月23日に録音され、
その後数週間でそのタイトルで発売された。エリントン・バンドが1943年1月23日のニューヨークのカーネギー・ホール初公演で演奏したときは、「ストンプ」と呼ばれていた。その後間もなくボストンで行われたコンサートでも、同じ曲は「リトル・ライト・サルフ」として演奏された。(「psalf」という言葉が何を意味するのかはわからない。)
「ジョニー・カム・レイトリー(ジョニーは最近あらわれた)」という表現の起源は、アメリカの19世紀の俗語にさかのぼり、主に1850年代から使用されていたと言われている。何か新しい動きや現象に遅れて参加した人を指すが、 おそらく、エリントン楽団のサックス奏者、ジョニー・ホッジズの名前にかけてつけられたのではないかと推測される。
7. 溜息のロッキンチェア Just A-Sittin’ and A-Rockin(1941)
1941年、ストレイホーンはエリントンと共に「Just A-Sittin' and A-Rockin'」を作曲し、この曲は同年にリリースされた。リー・ゲインズが作詞を手掛けており、エリントンとストレイホーンのレパートリーの中でも非常に人気が高く、長く愛されている曲である。
「彼がいなくなってから、一日中、どこにも行かずに待っているのよ。もし彼に会ったら、わたしはここで待っているって思い出させて頂戴。」というブルージーな曲。
8.叶わぬ恋人たち Star-Crossed Lovers(1956)
この曲はストレイホーンが、愛読していたシェイクスピアに触発されて書いたものである。
Star-Crossed Loversという言葉は、ロミオとジュリエットの序文に出てくる。
”From forth the fatal loins of these two foes A pair of star-crossed lovers take their life; Whose misadventured piteous overthrows Doth with their death bury their parents' strife.(”仇同士である両家の宿命的な血筋から、 不運な星の下に生まれた一組の恋人が誕生し、その命を絶つ。 彼らの悲劇と破滅が、 その死をもって、親たちの争いに終止符を打つのである。)
当初は「Pretty Girl」というタイトルだったが、1957年にエリントン=ストレイホーン組曲「Such Sweet Thunder」に収録された。その際、エリントンが、曲名を「Star-Crossed Lovers」に変更することを主張し、改題された。
原詞では、「Oh my girl」となっているが、ストレイホーンがゲイであることを鑑みて、性別を特定しない表現にかえて歌った。
9.レインチェック Raincheck(1941)
1941年に作曲され、デューク・エリントン楽団によって初録音された。ストレイホーンは1939年1月にエリントン楽団の専属作曲家兼編曲家として参加し、「レインチェック」は彼が楽団のレパートリーに加えた数々の有名な曲の一つ。
「Raincheck」 とは、野球などの雨天順延券から派生する語で、転じて、「また今度でもいいですか?」という前向きな提案を指す言葉。ハンク・ジョーンズやトミー・フラナガンの演奏でも有名なこの曲を、スキャットで歌ってみたい、と挑戦した。この曲のレコーディングを終えてミキサールームに行くと、エンジニアさんも鼻歌で歌っていた(笑)
10.イスファハン Isfahan(1967)piano solo
「イスファハン」は、イランの都市の名。エリントンの1967年のアルバム『The Far East Suite(極東組曲)』でリリースされた。この曲では、長年エリントン楽団のソリストを務めたジョニー・ホッジスがアルトサックスを演奏している。もともとストレイホーンが作曲した際には「Elf(エルフ:北欧神話の妖精)」と呼ばれていた。
ジョシュの 繊細なピアノの音を聴いていると、イランの宮殿や、ペルシャ絨毯の美しい模様が浮かびあがる。
11.A列車で行こう Take the “A” Train (1939)
この曲は、エリントンが自宅への地下鉄の道順をストレイホーンに伝える際、「A列車で行こう」というフレーズで始めたことに着想を得ている。ストレイホーンは、道順を教わった直後にこの曲を作曲した。ストレイホーンとエリントンのコラボレーションは大成功を収め、ストレイホーンはエリントン楽団バンドに欠かせない存在となった。
すでにたくさんの素晴らしい音楽家が演奏し、録音しているので、収録するかどうか迷ったが、今回のアルバム制作をサポートしてくださった、茶房Voiceの村田太さんの「みんなが知っている曲もあったほうがいい」という助言に従って収録することにした。
リズムを変えて歌ってみたら、エリントンの自宅に向かうストレイホーンのワクワクを追体験するような、楽しい感じにしあがった。
12.デュークアンドビリー Duke& Billy
Joshのオリジナル曲。
ストレイホーンとエリントンの、光と影のように織りなされた友情とミュージシャンシップが表現されている。
ストレイホーンの音楽に敬意をあらわしつつ、現代を生きるわたしたちの新しいエッセンスを加えたいという意図から、ジョシュの快諾を得て収録した。
13.蓮の花 Lotus Blossom(推定:1945~47頃)
ストレイホーン自ら愛奏した曲として知られている。メロディーもさることながら、コード進行の美しさに魂が震える。
蓮の花は仏教や東洋にも関連が深く、泥の中から美しい花を咲かせる様は、苦悩の中から美しい音楽を生み出したストレイホーンの生涯にも重なる。
エリントン楽団がストレイホーンを追悼して録音した”And His Mother Called Him Bill”に、エリントンがピアノソロで弾くヴァージョンが収録されており、言葉に尽くせない想いの深さが伝わってくる。
(邦題・文 日高由貴)